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2009/01/10 update |
| 04年10月 秋の夕日 (深泥ケ池にて) 10/11 | |
| 04年 9月 九月の大文字 9/25 | |
| 04年 8月 墓参の時に 8/13 ・ 大文字 8/16 | 09年元旦 丑歳の年賀状(熊野 新宮・大黒天) |
| 04年 7月 祇園祭を少しだけ (・・・久しぶりのUPDATE) | |
| 03年9月〜04年6月まで ・・・小休止していました。 | 08年7月 '08 祇 園 祭 08/07/16〜17 |
| 03年 8月 秋の気配 | 08年2月 立春過ぎの雪 08/2/09 |
| 03年 5月 五月の神護寺 | 08年元旦 つちのえ・ね 年賀状 08/1/16 |
| 03年 4月 今年の桜 | |
| 03年 3月 小雪の安楽寺・哲学の道 | 07年 夏 祇園祭 ほこ立てと山鉾巡行 10〜17日 |
| 03年 2月 節分と懸想文売り ・ 父のことなど | 07年 2月5日 伏見 稲荷の初午/昔の名所 |
| 03年元旦 ひつじ歳年賀状/下鴨神社・蹴鞠 | 07年元旦 亥歳の年賀状 版二種 2007/1/5 |
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| 02年12月 奈良、興福寺の塔 猿沢の池 | 06年11月 拾翠亭の紅葉【御所・九条家の茶室】 |
| 02年11月 南禅寺の夕暮れ | 06年 2月 吉田神社の鬼 節分会と方相氏 |
| 02年10月 田舎へ行ってきました | 06年元旦 戌歳年賀状 【高野大師行状図画】 |
| 02年 9月 古新聞・F.ザビエルのこと | |
| 02年 8月 大文字・残暑お見舞い | 05年12月 雪の金閣寺 12/18 |
| 02年 7月 祇園祭はもうすぐ | 05年8月 点火前 8/16・・・昼間の大文字 |
| 02年 ・・・END・・・(日付の古いページ) | 05年元旦 酉歳・年賀状 |

今年は珍しく お祭り前に 梅雨が明け あつい祇園祭 でした 暑くて 小一時間だけ 写してきました 2008/平成20・7・17 |
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蟷螂山/とうろうやま (一名・かまきりやま) 近年に復興された 山 です。屋根に 乗った蟷螂が、カラクリで動きます 京都の山・鉾のうちカラクリがある のは【蟷螂山】だけです 【蟷螂山とギオン囃子】←動画 Click |
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綾傘鉾/あやがさぼこ この鉾も近年に再興され山のような形ですが 四条傘ぼこと並んで古い形式の鉾だと聞いて います。棒振りは壬生狂言の演目と同じ乍ら お囃子は異なります 【綾傘鉾の棒振り】←動画 Click |
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祇園まつりの御神輿 お祭りの夜はお神輿が出ます 繁華街の真ん中・四条通りに ある 八坂神社のお旅所 に 三基が揃うのは夜の12時前 です 終わりだけ見て来ました 【お旅に戻ってきた御神輿】←動画 Click |
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| 今年の年賀状のイラストは弊店商品の内から【元明天皇陵隼人石拓本】を選びました。 昔から元明天皇陵隼人石とよばれていて、掛物の巻止めにもそう書かれていることから 通称の題名を目録に使っていますが聖武天皇【701(大宝1)生〜756(天平勝宝8)没】陵墓と その周辺墳墓は大昔のお墓なので今も詳しい事は解っていません。一説には【 那富山墓 の隼人石 】とも言われています。原石の場所は【奈良市法蓮佐保山】にあり自然石に線彫 された四体の獣面人体像が陵墓を警護するような形で下の部分を土に埋められています。 北西に立つ第1石(h127cm)はネズミの顔にひとの身体で上部には行書体で北の文字。 北東の第2石(h91cm)は二本の角が後ろに伸びた牛のような顔にひとの身体で、両膝を ついた坐像。南西の第3石(h57cm)は犬のような顔の上半身像。南東の第4石(h78cm) は両耳が後ろに伸びたウサギのような顔で両ひざをつき、つま先立って座した頭上には楷書 体で東と刻まれています。本来、十二支そろっていたのかも知れませんが今は、子/ねずみ、 丑/うし、戌/いぬ、卯/うさぎ、の4石のみ。朝鮮半島の墳墓には同様の十二支石像が幾く つかありますが、中国にこの石像は無いとのこと。日本では、ここの陵墓だけに現存します。 おらかな線刻のこの描線はまぎれなく天平で、行書の北も好きです。(隼人石・所在 MAP) |
| 夏の京都 | ![]() |
| 【八坂神社・神事】 毎年 7月中 1日吉符入(各山、鉾町で祭礼神事、打合せ) 2日くじ取り(山と鉾の行列順番のくじ取り式) 10日各鉾町で鉾立て始まる 10日神輿洗い(夜、中御座一基、四条大橋の上 昼に汲んで置た加茂の水で神官が清める) 17日山鉾巡行(昼) 17日神輿3社が八坂神社から四条御旅へ(夜) 24日神輿3社が八坂神社に還る(夜) 28日又、神輿洗い 29日祇園祭の終りを神前に奉告して終了 31日夏越祭(なごし祭) (以上、目立ったものだけを略記) |
・・・京都の夏は ぎおんまつり と共に・・・ 祭事は 7/1の吉符入りに始まり、7/10鉾立て、7/17山鉾巡行 神輿洗など色々あって梅雨も明け、7/31 に行事が終る頃、 いよいよ悪評高い 蒸し暑い京都の夏 に入ってゆきます。 7/12 朝、車で四条通りを走っていて 長刀鉾 の車輪の組付け に出会いました。10日の鉾立てを二日過ぎていたのに、荒縄で 巻いた骨組みが見えます。雨は小降り、直ぐ店に帰ってデジカメ を持って 見物に戻りました。 鉾の内側をご覧ください。帰る時にはもう、幕が懸けられました。 つづいて、きれいに着飾った鉾 も写すつもりです。 070712 【画像の拡大判はこちらを】 ⇒ CLICK |
一番 長刀鉾 河原町三条 到着 (7/17朝10時すぎ) |
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長刀鉾 全高 気のもめる 降り み降らずみ瀬戸 際の雲 暑くない から盛上らない しかし 降らずに 皆んな良かった 撮り直しても 写真 暗くて すみません 普通の Digital NIKON - D70 50ミF1.4標準 で手持ち撮影 PANA・FZ20を 持ってくればと 後々悔む事頻 手振無のFZ20 |
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長刀鉾 なぎなたぼこ だけ 小学生のお稚児さん が乗る それを【生稚兒】イキチゴ とか呼ぶんだそうで まさかナマチゴでは どちらでも気味悪い 生玉子 茹で玉子 生稚兒に 死稚兒 なんと言葉は残酷 ・・・ そんなん 普通に言うたら お稚児さんが のったはる、ですぅ お稚児さんって みんな 生きたはんのどすぇ 祇園さんの お祭りやさかい もっと可愛ゆう云う たげとくれやすぅ ほかの鉾はみな おにんぎょさん 生稚兒の長刀鉾 街の栞へ |
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白楽天山 変な面白胴掛け 道で貰った〔栞〕には トロイ城 陥落の図 16世紀 毛氈・モーセン (久しく使わない文字) コレは前懸けの解説 胴懸けの説明はなく 何の逸話でしょうか 無知・不明・不思議 何方か教えて下さい それにつけても トロイ陥落より 訳ありそうで 面白そう 大画像ご覧乞 |
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かんこ鉾 【函谷鉾】のこと 耳からおぼえた ので大人になっ て字が読めない みんなそう呼ぶ 函谷関を 鶏の鳴きまねで 開かせた 故事に基づくが 鶏鉾は諫鼓〔かん鼓〕に鶏 函谷関は〔鶏の鳴きまね〕 〔かんこ〕と〔鳴きまね〕が どこで一緒に・・・解らない ちなみに 街の案内〔栞〕には 函谷鉾 かんこぼこ と仮名振り がある 先触れが持つ旗の通り 正しくは カンコクボコ ですが ま、どっちでも |
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| かんこ鉾 目の前を通ります どの鉾も豪華です |
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かんこ鉾・胴懸け 粋な 部屋で使いたい ような図柄 それを見られるだけで ありがたいのですが 矢張り 本物を見てる 時が・・一番いいです |
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綾傘鉾 棒振り と お囃子 ひとやすみ 傘鉾は もう一基 四条傘鉾 と言う のもあります |
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月 鉾 とても綺麗な金色の 鉾先〔上弦の月〕は 新月・上弦・満月・下弦 のサイクルで満ち欠け する月齢ゼロの新月は 真っ暗で見た事ないの に 栞には新月と説明 あり何か変だなあでも 新月から3日目の月と も書けないむつかしい ・・・そうだ三日月です 傾かないで真上を向いた シンプルな金の三日月が 痩せ身でなくとてもキレイ 長刀よりにぶくて一番好き |
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| 七月十七日 夜 | 八坂神社から四条のお旅所に神輿三社が来る 中御座 東御座 西御座 の三社です 見に行った時は、中御座は既にもう鎮座していた |
東御座 四若組 がかつぐ神輿 お旅所前を何度も 何度も回る (中御座をかつぐ のは三若組) |
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東御座でお祓いを うけているところ 東御座 四若組 |
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| 同 上 東御座 四若組 |
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西御座は 錦 錦市場が担ぐので 知り合いが多い 生まれも学区も 同じの幼なじみ 一緒によくスキーに 行った人達 息子の同級生 などの、元気な顔を 見に行く |
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西御座でお祓いをうける 神輿と錦市場の若い衆 神輿はどれも相当重い とは世話役の 友の言 |
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神事に合せた雅楽の 演奏も終って・・・ |
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四条通りの向側に戻ら れる楽人の方々・・・ 雅楽の演奏中は 近すぎてなぜか 写せなかった・・ お神輿に 圧倒 され目が離せず 振り向く余裕が が無かった・・・ それだから結局 いつもおみこし を見に来ます |
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とても長い担ぎ棒を外して お旅所に収まったところ 外した横棒はホントに長い 古色ある鉾に比べ 黄金色がまぶしい 超豪華な神輿三社 金が良いので何時ま でも時代が付かない |
![]() 朝からの一日が怪我無く終わり、 何ともいえない良い時間です。 |
街頭で配られて 貰ってきたしおり 街の栞 |
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| 参道奥の鳥居前まで車で行けますが右横の駐車場は一杯、車OKはさすが商売の神さま うしろの稲荷山へ和銅4年(711)2月の初午に稲荷大神が鎮座されたそうで、京都より古 いのです ・・・ 立春を迎えた最初の午の日を初午と言うそうです |
↓ 都林泉名所図会 の大きな写真は下欄のリンク先から |
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![]() 外包みの茶色は虫除け にひかれた 柿渋 |
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| 江戸時代の版本 都林泉名所図会 は京名所や旧跡などが一杯載っている和本ですが 伏見稲荷の処に しるしの杉 が出ていました。 お稲荷さんへは子供の頃からよく初詣に 連れられて行きましたが 【しるしの杉】を授ける 初午 には今までお詣りした事が無くて、 現在も続いている しるしの杉を一度見てみたいのと商売繁盛も合わせて、お願いに行って きました。 当店HPの商品解説で【都林泉名所図会】(SoldOut) の内容紹介を載せた時、興にまかせて 【別のページ】も作っていましたが その本はもう既に買って頂いて、紹介ページだけが残り ました。 京名所の数ヶ所を載せた その苦心のページをサイトに留めてリンクさせます。 昔の京都にはこんな処もあったのかとか、変わってないなぁ、とか・・・どうかご笑覧下さい。 【 都林泉名所図会・・・抜粋紹介のページ 】 ←リンクはこちらをclick |
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| 江戸中期の叡山版【九重守】に摩利支天の坐像がありましたので、年賀状に使いました。何種類か持っている九重守には、どれにも異なった特徴があり興味が尽きません。普通の摩利支天は、片脚を踏ん張って、走るイノシシに立ち乗りで弓を射る勇ましい姿の天部です。が、この像はおだやかに座っていて、気に入っています。台座には何匹ものイノシシが八方をにらんでいます。その左右に並んだ仏像も大好きです。原画で見ると、鬼子母神の右には子どもが這っていて、大聖天の像は古い様式(後世は一体)、祇園祭の牛頭天王など。もっとも他種には、猛々しく戦う摩利支天も有ります。江戸時代の何でもない道中守・・・只の【九重守】だから余計に楽しいです。イノシシが他に仏像図彙(和本五冊)で見つかり、下の通り二枚目の【年賀状】も使いました。・・・(2007/1/5) |
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![]() 江戸時代の版本 【 仏像図彙 五冊 】 巻三から抜粋 摩利支天につぶされ「重てぇ〜」と悲鳴を上げる 猪 |

| 2006/11/26 拾翠亭の紅葉 (しゅうすいてい) /京都御所 | update2006/12/02 |

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| 2006/2/3 今年も節分は 吉田神社へお参り | update2006/02/09 |
![]() 〔童子〕を大勢従えて、山から里へと降りてゆく・・・ |
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スタスタスタ と参道から 〔 奥之院 〕に向かうのは あれっ 鬼じゃないの・・? と云うことは三年前に、天狗だ 方相氏だ と書いた のは・・・間違ってました、どうもすみません。 あの時 は後ろ姿で顔が見えなかったもので・・。つい早とちり して、色々云ってしまいました。 うしろ姿の白髪を見 れば天狗・・・白髪の方相氏は 〔紋つき 羽織 はかま 姿で、目が四つあり四方に睨みをきかす〕・・のです。 先の丸い角があって これは鬼、ですがいつもは裸に 虎の皮のふんどし姿の鬼が、何故に正装で調子軽く? 次に、またスタスタと 〔 本 殿 〕へと向かいました。 |
| 紋付羽織はかま姿の鬼って何なんでしょうね。・・・きのう二日の追難式は〔方相氏〕が出番の鬼退治で、鬼は改心しましたが今日は福鬼が正装でお礼参りと言う塩梅です。〔方相氏〕は四方を四つの目で睨んで手に鉾を持ち・・・。来年は忘れず二日にも見に行こう。でも、この演出って何時の頃からなんでしょうか。京都で追難式が有名なのは盧山寺(ろざんじ)です。子ども二人を連れて家族で見に行った遠い昔を思い出します。きょうの〔童子〕達にはきっと楽しい思い出が残るのでしょうね、一生。 |
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吉田神社では追難式のあくる日、 改心した鬼がお禮にやって来ます。 護符(お札)で頭を軽く押さえてもらって・・・ 【 笑 鬼 来 福 】 吉田神社 とにかく、福が来るって言うことなんですね。 まいとし節分を無事に越せば、 春はやがて やって来るのです。 来るのかなぁ私にも。 |
| 節分は、お札を授かって帰るのが習慣です。 昔は、あの矢(破魔矢のことです)が すごくかっこよく見えて、なんで僕の家(うち) はお札なんだろう、きっとお金が無いから なんだと密かに思っていました。 巫女さんが、授ける矢を束ねて持って一舞、 ご祈祷しているのがまた格好よく見えたの でしたが、 ・・・以前にも書きました 〔金太郎飴の一件〕と一緒で、此の場所は 幼い記憶の変わらぬ情景です。 ところで、我が家はいまだに【お札】です。 【お神楽の動画】 をご覧下さい。光でも少し待ち時間が 必要です。画面がフリーズしたかと・・・お間違いなき様。 |
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| 【鬼の動画】 はこちらです。 節分を写さずに、鬼の写真ばかりになりました。 鬼に従った大小の童子たちが皆、嬉しそうで可 愛くて良かったですね。 きっと、地元の女の子 たちで ・・・鬼は知合いのおじさんなのでしょう。 吉田神社の節分は、日暮れて家に帰りました。 そのうち、ほんと(ぅ)の春が来るのでしょう。END |
| END/after お札のことを思い出していたら昔の父に出会いました。10才の頃です。いつも和服だったので、 〔おふださん〕とさん付けで、そう呼んでいた護符を授かったあとは大切に折れないよう、いつでも着物の合わせた襟から胸元へ抱くように納めて持ち帰っていました。そのうちの幾度か、何か言いながら襟首と襦袢の間の背中へお札を差し込んだのを思い出します。いくら長身の父でも余り具合の良いものでは無いはずですから、たった一度だけかも知れません。昔の人が長いものを折らずに運ぶ手段だと云うことです。大人になって父だけでなく店のおなじみのN先生からも聞きました。江戸明治よりあとのこと、これは戦前だったかもう時効ですが、ある史料調査のときに止むにやまれぬ気持ちから大好きな古文書を背中に入れて自宅に持ち帰って飾っていた偉い学者が、伝説の悪評をいただいた話をN先生から昔がたりで笑いながら、そのお名前まで伺いました。同じことを東京のK先生からも伺いました。ずっと昔の有名な事件です。父は既に知っていたはずで、自分もお札さんで試してみたのではないかと今ごろ想像する次第です。ふところに抱いて温めたり、真似して背中に差して持ち帰るお札さんは何とも霊験〔あたたか〕であったろうと、なにごとも真面目な顔付でやってのける父を思い出して思わず笑えてきました。そのときは案外、父も内心わらってしまい、あらたかな神霊で背筋がこそばゆい思いをしていたのかも知れません。おもうに、幼いときは何でも見て憶えているものなのですね口には出さずに。大の息子と娘がときおり昔の私を話してくれるので、それをつらつら思い返すうち、幼い大昔の自分を取戻しました。【笑鬼来福】のおふだを頭に押しいただく姿の有難さを見ると、伸ばした背中の護符は一層、背骨にぞくぞく有難そうです。あれは一年中災難から守って貰える納得の帰路だったのだと、父よりちょっぴり信仰が薄い不埒な息子の妄想です。after/end 060223 |
| 〔室町末期版画〕 高野大師行状図画十巻 と 2006年元旦 戌歳・年賀状 | update 2006/01/03 |


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| 滋賀県大津市坂本の 【日吉大社】近く に在ってよく食べにゆく、美味しい手打 蕎麦の〔鶴喜〕さんの帰り、その |
となりの和菓子屋さんで買いものした時に。 新年を迎えたご祝儀に〔 クリック 〕をどうぞ。 ・・・動画は少し時間が掛かります、ご容赦を。 |
| 2006年正月四日写 |
| 2005年12月 雪の金閣寺 | update 2005/12/18 |
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今冬一番の寒気が来ると言う日曜日の早朝、通りを歩くザクザクの足音で目醒めて雪かなと思ったら、明け方の小雪が凍てついていた。雪は静かで音が消え近づくときだけフッフッフッフッと足音が云う。何メートルのところもあるのに、いつになく京都は降らなかった。早く起きて金閣寺の雪見を思いついたので行ってみた。薄雪が残って普段と少しだけ違う金閣寺だった。何処から写しても絵葉書みたいな、良くも悪くも何とも云い様がない写真からピンボケを取り除いて【別のアルバム】を作ってリンクさせました、お付き合いにご覧下さい。子どもの時に学校から遠足と言うか見学に行ったのは余り覚えていない古い金閣で、焼けた後の金閣寺もその後はまた黒くなっていた。近年なぜか綺麗好きなまぶしい金色が続いている。京都で唯一の派手好み。形も良いし歴史が有ってなお黄金では、外国人に自慢するのに一番最適です。近くで見ても遠くでも、圧倒されて何も見ていない。ただぼんやりと記憶無し。こうして写してみて、家に帰ってようやく見えてきました、不思議です。金閣寺も良いですが、写さなくても記憶にある銀閣寺も良いです。まだ見ぬお方はどちらにも是非行って下さい。 click ! ⇒ 【別のアルバム】・・・・・ 2年前に写した【小雪の安楽寺】は 夕暮に淡雪が残る寒いよい日でした。 |
| 画像を 最大にする ← CLICK! |
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閑静な住宅地の辻々から山が見えます、好い処です。 |
直線距離でココから大文字まで 約1000m 上の写真をクリックすると〔大画面〕へ |
| 毎年8/16日の夜8時 京都五山の送り火が点火されます。その代表が如意ケ嶽で通称【だいもんじ山】です。その真正面にある【吉田山】という市中の小高い丘陵の住宅街の処々から、正面向きの綺麗な書体の大の字が見えます。この辺り、夜は見物で一杯でも写真の夕方4時過ぎは普段どうりの閑静な好い所でした。 |
| 他府県の方で【吉田山】を余りご存知ないお方、山のふもとは京都大学です。昔の京都帝国大学予科/三高寮歌の『 紅萌ゆる丘の花 早緑匂う岸の色 都の花にうそぶけば 月こそかかれ吉田山 』なのであります。その京大近くの吉田神社は吉田神道の元祖、と言うより徒然草の兼好法師ゆかりの地なのです。そんなに大昔ではなく小むかしの、まだ京都の文化度が高かった良き時代の、よき年配の人には懐かしい処でと、ついつい話がそれました。 |
| さて生まれ育った京都に住んでいながら私はまだ、点火前の大文字山に登ったことがありません。あくる日のから消し(消し炭)拾いにも行ったことがないのです。きっとそれは母親が子ども心へ植えつけた宗教心の影響かもしれません。お盆に帰ってきた精霊(おしょらいさん:お精霊さん)が、またあの世へ戻ってゆくときの送り火。半ば信じていた三つ子のときから、随分歳を経た今もその魂が消えません。しかしこの頃は、そんな事もあって良いのではないかと思っています。ひとの霊はともかく魂は、人の心の中に居座ってずっとあるものなのか。なかなか消えませんが時々は助けられたり力をもらったりもします。 |
| そのほかイマシメか母からは怖いことをいっぱい教わりましたが、あるはずのない地獄とその地獄の苦しみがこの世のどこにでもある事は随分のちに気が付きました。佛道の地獄は自分の罪から起るものでしょうが、たとえば冤罪や戦禍などは国権により罪もないのに罰をこうむるのですから、それは地獄以上の苦しみだと思います。9条と基本的人権は本当に大事です。日々楽しいことはありますが、6月の蛍も五山の送り火も遠くで静かに見るのがしんみりします、お祭りではないのです。ちなみに母の生家は神道だったのになぜ地獄極楽話を私に。元来日本は仏教文化なんだなとつくづく思います。 |
| さてそれではなぜ写真を撮りに、とは言っても長年なんとなく気掛かりで深いこだわりもないまま物見高く、双眼鏡で見るようにデジカメ〔PANA・・・FZ20〕の望遠性能を試したかったのです。お目に掛けたあとから言うのも大変失礼ながら、やはり遠くから見るのが一番です。そうそう吉田山には沢山のお寺があり【真如堂】の奥の方から緑の大文字を普段に見られます。少し坂ですが真如堂や【吉田神社周辺】、洛東の【法然院】などは混雑せず静かで落ち着いた時間を過ごせる良い場所なので、お勧めします。そのほかで写した【送り火の昼間】も折角なので載せます、お付き合いください。 |
| 最後に【大文字】というのは奈良・若草山の山焼きや、田畑や土手の野焼き、おいしいたこ焼どら焼きと同じではなく、亡き人がまた迷わずに帰れるよう途に火をともす【送り火】ですから、他所から聞く”大文字焼き”は変です。辞書にもある固有の名前で、試しに〔大文字焼き〕で引いたら何も載っていませんでしたし、京都にはその名のお菓子すら有りません・・・。 |
| 身近な霊魂はそれぞれの心に年中宿っているのにお盆に来て又帰ってゆくと都合よく信じるのは心を悩み惑わされない為の知恵なのかもしれません。有るとも無いとも言い切れない霊魂ですが、現代では心より経済と科学が優先して来世も地獄も霊魂もなくなりました。心に怖いものなしの日本で日ごと悲惨な事件が続いていますが、誰もがその被害者だけでなく加害者になる可能性もあるはずです。もしも私の行動が判断を越えようとする時、理屈抜きで一瞬でも引き戻してくれる霊魂が心に住んでいて欲しいです。冷静な時の考へがいつでも出てくるとは限りません。 |
| 刃物が無くても、身近な事では裁判員制度が始まっても私には人の罰を決める判断力などありません。 霊魂だけでなく 心にしみる うつくしい魂 すばらしい spirit に、これからも出会えますように。 |
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銀閣寺付近の交差点。 この正面の山すそに銀閣寺があり、 その後ろの山が大文字山です。 登り口は銀閣寺の左横から登るのが 一番ポピュラーですが、他にも道は 沢山あります。 写っていなくて見えませんが、右の うしろに 〔吉田山〕 があって、そこから 下りて右折し、そのまま東に少し走った ところが、この交差点です。 |
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| 妙 白い点々は火床に薪を積み上げてビニールを かぶせた物(準備完了)です。五山の送り火は 総ての字と絵がシンプルで好いデサインです。 遠くから点った火を眺めて何時もそう感じます。 |
法 上の写真は〔喫茶店:サンマルク〕 の駐車場から。 真正面ですが見にくく、近づくと斜面の傾きで又見 にくい。少し離れると建物で見えない。 しかし、 火が点けば遠くからでもよく ・・・見えないか。 |
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| 一万年以上前から続いている湿地です。特有の水生植物などが天然記念物に指定されています。同様に有史以前から続いた巨椋池(オグラガイケ)という湿地帯が京都の南部にもありました。干拓されて一部が水田になっていたころ、16才の頃ですが、畦道からうっかり踏み込んで腰まで深田に沈んだ事があります。季節は冬、沼地は一面の芦原に包まれて、歩くためだけの小道は別世界の景色、明るく空が開けて暖かく水鳥や小鳥が沢山いました。田んぼに落ちた事など忘れるほどすばらしい日でした。六地蔵駅から歩いてゆきました。今はもう全部埋め立てられ宅地などになっています。さて、こちらの深泥ケ池は大昔から じゅんさい の産地でもあります。此処では小学生の頃の思い出があります。じゅんさいの採取権を持っている馴染みの農家の人の箱舟に一度だけ乗せてもらって、父と一緒に鮒釣りをしました。まったく釣れなくて浅い箱舟はぐらぐら揺れ、水中を覗くと薄暗く『じゅんさい』がボーと見える気味の悪い沼地がなんとも怖かったのです。しかしなぜか『じゅんさい』だけは小さい時から大好きで、特に此処のものは小振りな形が上品で味も良い(と言うより此処のものしか知らなかった)のです。おすまし(すまし汁)に入った『じゅんさい』のプチプチした歯ざわりが子どもの時から大好きで、そのとき初めて水中に生えていることを知りました。長い柄のハサミで新芽をプツンプツン切ると浮いてくるので、それをすくって集めることも聞きました。『じゅんさい』は古い歴史と由緒あるもので京料理には欠かせません。寒天みたいな透明膜に包まれた小さい新芽をよく見ると、片仮名のイの字の形に蓮の葉が細長く巻いていて茎も同様に細く、プチプチつるんとやわらかい歯ざわりです。あんなに小さいくて可愛いいじゅんさいをその後は見ません。今は自然保護で、ここのじゅんさいも釣りも当然禁止です。 今は昔、干上がることなく一万年以上続いてきた伝説の池の中には何があるか知れません。(京都生まれの子は大抵知っている幽霊のことは、近年の話しですね) |




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日本中どこにでもある村の小高い丘の墓地です。写真をはばかって永年写さなかったのですが、この静かで小さな村にも大きな出来事の跡があり
今もこの戦争で亡くなった人、残された者の悲しみ苦しみがいっぱい刻まれています。どうか見てください。![]() 昭和二十年三月十四日 於 ブーゲンビル島戦死 行年二十二才 |
あの戦争さえ無かったら、と嘆く沢山の人々がご存命のうちに、みんなが深く考えて賢い選択に戻して行かないと。選挙の度びに昔の日本に戻そうとする政治は、一体誰の望みで動いて行くのかと嘆きます、誰の命も大切です。![]() このころ、私は5歳なのでブーゲンビル島のこともこのお墓のご本人にも会ったことがありません。私も息子も22才は無事に過ぎたのですが、行年二十二才で戦死させられたこと、が余りに悲惨です。戦争が終わった小学生の頃は勇ましい話や、恐ろしい話を何回も何年にもわたって一生懸命に聞きました。戦地から生きて帰った人達からです。亡くなった人の顔は写真で覚えているだけです。その後に本も読みました。中でも中学生に大岡昇平の『野火』は強烈でした。勝っても負けても理があろうと無かろうと誰かが死ぬ。どの様な戦争も罪悪です。否定する意味は個人の単位から出発して考えれば一番よく判るはずです。大事な命を犠牲にされた人たちを忘れないための自戒をこめて何枚かの写真を載せさせていただきます。 |
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![]() 行年三十四才 と記されています。 お墓がきれいなのはご家族が 健在なのでしょう。 |
| 昭和二十年五月三十日 於 ビルマ国ケマビュー東方四十二哩 地点戦死 と刻まれています。 国の為にと戦った一部の人を除けば、 大方の人々は親兄弟、妻子が助かる ならばと自分を納得させた命だと聞い ています。 靖国神社に魂が 戻ってくるはずがありません。 |
100戸に満たない小さな村に30柱以上の戦死者があることは、今となっては想像もできない凄まじさです。けれど、どこの村でも同じではないでしょうか。沢山の墓標に刻まれた異なる戦地が生々しく一人ずつの記録はあっても、遺骨は帰らなかったと思います。又、復員後の最期の病院が刻まれた墓標もあります。一つの爆弾すら落ちなかった片田舎の村でも、この有様です。 |

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○ とっても暑くて、本当の祇園祭でした。 前夜の宵山も蒸しかえる暑さで例年より 沢山の人出がありました。 でも、お祭りは暑くても天気が一番です。 山鉾巡行が終わって京都は今、いよいよ 夏が来たって感じ、一層の暑さです。 ○ 写真が少なくて残念ですが先頭の 【 長刀ぼこ 】をご覧下さい。 通称:烏丸御池の角で撮りました。 ・・・(からすまおいけ) クリックで大画面(ADSL 8m以上が最適) ココをクリックで超大画面・・・・デジタルカ メラで撮ったままの、未加工写真。 |
| 御池通りは新しいビルが多いところで、後ろは「以前の・大阪ガス」右は「リクルートビル」です。町屋のあいだを引かれていた鉾が懐かしいですが、まだ古い町並みも残っていますので、来年は是非お越しください。それに、宵山も情緒があってとても良いです。昼間の山鉾巡行は静かで華やか、都の祭りですが、宵山の(子どもの頃はよみやと云ってましたが:宵宮でしょうか)鉾町は、ろうじ(路地)の提灯に火が入った奥に、豪華な屏風、山にのせる人形、鉾の古い飾り物などが座敷に並べられ、間近でゆっくり見ることが出来ます。夜の町々は賑やかながらも落ち着いて、帰り道にはおはやしが遠く心に残ります。宵山を見て廻らないと祇園祭は半分ですね。宵山、よみや、どちらでも余り違いませんが、荒っぽくないお祭りなので気持ちがゆっくりして又格別です。 |
![]() 近すぎて鉾の長刀まで写らず残念。 クリックで大画面/長刀鉾の見送り (向こうはリクルートビル) |
![]() これは函谷鉾・カンコボコです。 長刀鉾ではありません。近くで 見てもユックリとは見られない 詳細をクリックして特大画面で ご覧下さい。 |
![]() 四条御旅所・・・四条通(の新京極) にお旅所があって今 三基のお神輿が鎮座していますが7/24には八坂神社 に戻ります。・・・それで祇園祭は一応終わりますが・・・ (この写真は四条通りの道路の向かい側から写したスナップ 写真です拡大click 一層拡大click・・・) |
![]() 拡大 Click お旅所に鎮座しているお神輿三基は錦、三若、四若組 が担ぎます。その(錦)はご存知、錦市場の若衆です。 三基とも凄く重いそうです。 |
| 【八坂神社・神事】 毎年 7月中 1日吉符入(各山、鉾町で祭礼神事、打合せ) 2日くじ取り(山と鉾の行列順番のくじ取り式) 10日各鉾町で鉾立て始まる 10日神輿洗い(夜、中御座一基、四条大橋の上 昼に汲んで置た加茂の水で神官が清める) 17日山鉾巡行(昼) 17日神輿3社が八坂神社から四条御旅へ(夜) 24日神輿3社が八坂神社に還る(夜) 28日又、神輿洗い 29日祇園祭の終りを神前に奉告して終了 31日夏越祭(なごし祭) (以上、目立ったものだけを略記しました) |
長刀鉾は【くじ取らず】と呼ばれいつも一番です。祇園祭は平安 時代に始まった厄病よけの夏の神事です。応仁の乱のあと明応九 (1500)年に現在の祭りが復興したそうですが元来庶民の祭りです。 町中は賑やかでもこの日宮中は何の行事も無く静かと江戸初期 の公事根源(公家・一条兼良著)の本に見えます(下欄ご参照)。 【京の三大祭】の発祥は・・・ 葵 祭 : 別雷神(ワケイカズチノカミ :上賀茂神社)太古からの祭/奈良 時代に毎年の祭祀を国司が検察/古くは賀茂祭と云う。 祇園祭 : 平安時代(869)に始まり/明応9(1500)に復興。 時代祭 : 明冶に始まる(東京遷都以後に興った行事)。 【日本三大祭】・・・神田祭/天神祭/祇園祭 |
| 葵祭は賀茂祭、又昔は北祭とも言われました。南祭は石清水(男山)八幡宮のお祭り(貞観元年・859始)を指します。古い物語にも記されている公家貴族のお祭りですが、祇園祭は最初から庶民のお祭り、都会の祭りです。「この日禁中(御所)では別段何も行事を行はず普段と変わらない静かな云々」と記された物の本(室町時代のお公家さん:一条兼良卿著の公事根源)の古活字本を読みました。その頃の祇園祭りもきっと町中が賑やかだったのでしょう。 これもむかし何処かで聞いたのですが、春と秋の祭りは豊作を願い喜ぶ祭りで、大昔に夏祭りがあったのは都会だけだとか、人が多い都の夏の疫病は大脅威だったのですね。疫病退治では、室町期の「融通念仏縁起絵巻」の木版摺り絵巻が素晴らしく面白いです。北祭は平家物語の最後、潅頂巻の「大原御幸」に出てきます。壇ノ浦で入水後助けられた安徳天皇の母建礼門院が住む大原寂光院に後白河法皇が逢いに行く件りの「・・・やがて北祭も過ぎにしかば云々」という美文の書き出しです。高校生の時、大原御行を初めて読んで好きになり長巻の平家物語を何度も読みました。祇園精舎の鐘の声、だけなら次に進まなかったかも知れません。国語の教科書に「大原御幸」をとりあげて下さった編者の文学博士:故能勢朝次先生に感謝しています。 |
| 祇園祭は【八坂神社】の祭礼ですが本家本元の神社のどこにも祇園と言う言葉が 出てこないのです。ずっと昔は【祇園社、祇園感神院】等と呼ばれていたのですが 明治の神仏分離令(廃仏毀釈)で仏教色を排除され土地の旧称の八坂神社となっ たそうです。八坂神社の周辺地名は今も祇園であり、お祭りの名は祇園祭なのに、 その中心の神社の名に祇園という文字が無いのはこの様な訳けです。子どもの頃、 八坂神社と言わずぎおんさんと云っていました、大人もそう使っていたからでしょう。 京都だけではないでしょうが、物にでもさんを付けて敬称で呼ぶのは何とも愛嬌があ って面白いです。・・・ちなみにうんこさんと言っていましたがおしっこさんとは云わな かったのはなぜかチョット不思議です。こどもには呼び捨てよりさんづけの方が偉いと 思ってしまいますが。でも耳に可愛くていいですね。言葉は古い人からの申送りです。 ・・・お芋さん、おかぼさん(かぼちゃ)、おしゃもじ、おいど、など京言葉を綺麗に使い分けた時代でしたが、 こう書くともう、先年お亡くなりになった随筆家で、ご近所の昔馴染み【大村しげさん】の世界ですね・・・。 |
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| 西御座 拡大 Click | 中御座 拡大 Click | 東御座(錦) 拡大 Click |
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| 秋の気配 |
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| 五月の神護寺 |
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![]() この本坊入口を左に向かうと展示会場の書院へ。 |
![]() 山門に向かって右に、本坊があります。 |
![]() 【神護寺山門】 新緑の眺めを楽 しむ人々が皆、満足そうでした。 |
![]() 清滝川のほとりから、長いながい石段を登った ところが山門、【高雄山神護寺】 と言います。 |
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![]() 有名な梵鐘銘の釣鐘がある鐘楼です。右側の 山道を登ると、和気清麿公の墓所に出ます。 |
神護寺のはじまり(案内栞から、原文ママ) 平安京造営(794〜)の最高責任者(造営太夫)であった和気清麿公が今の愛宕神社の前身、愛宕白雲寺などとともに建てた愛宕五坊の一つで「高雄山寺」と呼ばれたが天長元年(824)、河内(大阪府)の神願寺(清麿公創立)の地がよごれた所でふさわしくないと言う理由から高雄山寺に合併されて、「神護国祚(そ)真言寺」と称したのが始まりでありますがこれより先、和気一族は比叡山の最澄(伝教大師)や空海(弘法大師)をこの寺に招いて活躍の場とされたため、時の仏教界に新風を送ることとなり、平安仏教の発祥地となった所であります。 ことに弘法大師は唐より帰朝して、大同四年(809)に入山、いらい14年間住持され、真言宗立教の基礎を築かれたところでありまして、のちの東寺や高野山金剛峰寺と並ぶ霊刹であり、弘法大師を初代としております。 文覚上人の再興・・・・・・ 平安時代に二度の災害のため、堂塔のほとんどを消失しましたが一世の豪僧、文覚上人がその荒廃をなげいて、寿永三年(1184)後白河法皇の勅許を得、、源頼朝の援助もあって往年以上の復興をみました。 |
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石段から山門を通り、境内を抜けて振り返ったところ。 斜面を切開いて建てられているのに山寺とは思えない、意外に平らで広い境内です。 山門:正確に云うと『楼門』は応仁の乱で兵火を受けたあと、元和九年(1623)に再興されたもの。 石段から見上げた時は気付かなかったが、境内の方から見ると軒裏の木組みの古色がいい山寺の楼門です。 |
![]() お寺の大きさに比べると小さい楼門に見えました。 |
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| 五大堂を横から見る。左は、高い石段の裾ですが、手前のこの道を 戻って降りてゆくと、静かな山道を経て地蔵院に出る。庭や池があっ たり、はるか清滝川に落ち込む渓谷の眺めは大きくて綺麗です。 |
![]() どこにでもある、気分のいい山道を歩いて・・・。 道は地蔵院へ巡って行きます。 |
![]() ・ ・ ・ 帰りにお蕎麦を食べた茶店からの眺め。 清滝川は、保津川に合流します。 【保津川下り】 のあの川です。 |
【以上、ささやかな京都案内です】 |
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| 今年の桜 |
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| 2003/4/8 夕方 疏水の桜 『通称、山科疏水の桜』 は、琵琶湖から京都市内までの流れに沿った、 京都人がよく知っている桜並木の名所です。見頃の時期には花の宴を開く人も多い。 |
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| 2003/4/13 疏水が初めて市内に出るところが南禅寺あたりです。 岡崎の市立動物園は左。正面の山は東山で、市内の どこからでも見える一番近い山。空気が澄んでいる時 は山も綺麗で、そんな日はとても気分がいい日です。 ・・・それは大抵は雨のあくる日です。 京都の中心地は、通りが碁盤の目になっているので北 や東を向くと山が見えます。 西は山が遠く南に開けた 盆地なのです。三方が山とは云え古くから人が山にか かわりを持っていたのでお寺や名所が沢山あります。 |
![]() 2003/4/13 夕方 桜の南禅寺も夕方は静かです。いつの季節でも何処でもこのあたりは良いです。 冬夏秋春・・・と、風情のあるいい処です。きれいな山の水が流れ、門をくぐった境 内には店屋もなく静かです。・・・・・・・・又いつか、雪の南禅寺をお目にかけます。 |
![]() 2003/4/9 |
| 祇園の白川は洒落た処なので、ちょっと自転車で見に行きましたらカメラ の三脚が一杯でした。・・・皆んな楽しんでいるんだからスナップで我慢し た方がいいと思うけどなあ?と。 黄昏どきは風情があって何ともいきな いい処なのに残念でした。 財布さえ重ければ夜が一番でしょうね。 ・・・・新緑の柳、桜はふぶきでした。 |
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| 小雪の安楽寺 |
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安楽寺は、法然院の南隣にあり、同じ浄土宗です。法然院のかやぶき門は小さく可愛くてとても美しいですが、 安楽寺も落ち着いていて感じのいい門です。古刹というより洒落た別荘風なこの山門は、細い道路に面した 平たい石段を上り詰めたところにあります。近くに銀閣寺や有名なお寺が多いので、つい通り過ごして しまいますがちょっと見ても楽しいところです。 |
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| 朝からの淡雪が夕方まで残っていた | 閉門前 |
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| 高札に云: 安楽寺/住蓮山と号し、浄土宗の寺院である。鎌倉時代の初め、現在地より東一キロメートルばかりのところに、法然上人の弟子住蓮房 安楽房二僧が念仏道場を建てて人々に念仏をすすめた。たまたま後鳥羽上皇の官女松虫 鈴虫両姫が教化をうけてひそかに出家する事件がおこり上皇の立腹をうけ「念仏停止」の宣下によって二僧は死刑、法然上人は土佐へ、親鸞聖人は越後へと配流された。これがいわゆる建永二年(1207)の法難であるが、下って室町時代の末、天文年間(1552〜1555)ニ僧の供養のため伽藍をこの地に再興したのが当寺である。 |
| 本堂には本尊阿弥陀三尊像を安置し傍に住蓮 安楽両上人、松虫 鈴虫両姫の坐像、法然上人張子の像等をまつっている。また境内右手に住蓮 安楽両房の五輪石塔、東方山林中に松虫 鈴虫両姫の五輪石塔がある。京都市 |
| 【哲学の道】と【西方浄土】 幾つもの山を貫いた運河で琵琶湖の水を京都まで引いた疎水は、南禅寺あたりで二水路に分かれて、本流は伏見まで市内を流れてゆく。 【琵琶湖疎水】と言わなくても京都で疎水とはこれを指す。分かれた細い第二疎水は南禅寺の境内にあるレンガ積みの高い水道橋を通って若王寺(にゃこうじ)の水門から銀閣寺までを、北に向かって道路沿いに流れる。 その道路が【哲学の道】と呼ばれている。京都は南に向かって低いが、この川は唯一北に流れる人工水路で、そのまだ北にある松ガ゙崎浄水場に行きつく。明治の大事業であったことが、よく知られている。 【哲学の道】は今も昔も別段どこが綺麗と言うわけではないが、桜が咲く、街中で蛍が見られる事は今も変わらない。普段の静かなたたずまいが落ち着いていてとても良い。特別なものを見たがるいつもハイな気分で動いている人々にはただの道だ。何処がよいか、落日まえに歩いてみれば判る。夜も良いが暗く寂しい。 それにしても、【哲学の道】というよい名前が付いていたことを知ったのは随分あとだ。昔、呼び名が有名になる前は、何も知らずに通っていた。 春の桜、6月の蛍をよく見に行く。四季を通じても黄昏れどきは良い。総じて洛東は小高いところが多くて西向きで、夕日が最後まで当たる。どこでも日暮れ前が一番美しい。このあたりは横から光が差す。 南禅寺と疎水付近、法然院あたりで日が沈むまで過ごすことがある。特に法然院は山裾にあって、昔の人は日の沈む西の向うに【西方浄土】の極楽があると信じたのだろう。今も、時間を忘れて落日を見るとき私もそう感じる。 |
![]() 安楽寺の帰りに通った哲学の道 , ひな祭りの翌朝に小雪が降った。 |
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| 節分と懸想文売り |
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(1) 節分のお参りをして来ました。小雪は降ら なかったけれど、寒くてよい節分でした。 |
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| 町の中の小高い吉田山にある吉田神社 節分を無事に越せ、立春を迎えたお参りに、 ・・・参道で「天狗のお通り」に出会った。 |
節分の吉田神社・札所の 巫女さん 振袖姿が並んでも、本職は「わ・た・し」 |
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| 節分は札所もあちこち増設され、 晴れ着姿の応援が沢山。 |
なんで天狗がお参りなの?と思いきや 方相氏と言って悪鬼を追払う役柄とか。 |
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(2) 雑踏から抜け出した近くに聖護院あり。修験道の門跡寺院。大法要が終わって大護摩焚きの残り火が按配よく ♪落葉焚き〜♪ の様で。あ〜たろうよ、と 近ごろは滅多に当たれないので、やっぱり冬はこれが一番と。お芋があったらなあ、とか贅沢を云いながら静かな本堂前でしばし童謡三昧。バチ当りめと言われないよう心もちの、お蝋燭一本献灯。 |
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| 聖護院の大門 | 護摩焚・残り火 | 聖護院・白梅 | |
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聖護院、日暮れ前の境内 |
本堂前・修験道の山伏さんは 蝋燭一本献灯で経文一節読経 |
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(3) 聖護院のすぐ前が須賀神社。節分のお参りには前後のどちらかに寄るが、今日は帰りに。寒い日は甘酒の時も有り、今回はちょっと【懸想文】を買ってみた。小さな神社なのについ寄ってしまうのは呼び込み上手なので。昔にあった【懸想文売り】と言うものを復活している。それが何なのかご紹介します。今更、懸想文でもないものをと、お思いでしょうが、いや年頃の娘のために・・・、縁結びのおまじないです。 |
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| 娘にと恥じらって買う懸想文・・・ 烏帽子、水干、白覆面は古い姿まま。 |
昔の懸想文売りの正体は、 貧乏公卿さんが始まりだったとか、 |
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結 び 封 貴 酬 署 名 |
| たとうには?家に | 昔は梅ケ枝に差したそうですが、 | これが 懸想文 | こちら江戸初期 | |
| 帰って中を見て・・ | 今は梅の絵に差してありました。 | 本文は・ひみつ | 本物の消息です |
| 父のことなど |
| 【節分閑話】前 |
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○ 京都では、節分に【 吉田神社 】へ詣でる習慣があって、私は父に連れられて、それは本当に小さな子どもの時からの習慣で毎年楽しみにして、お参りについて行った。市電を降りると人混みは肩車で、少し大きくなった時に、和服の父は自分のコートのポケットにつないだ手を一緒に入れ、暖めながらいつも足早に下駄でかつかつ歩いた。なぜそんなに速く歩くのか不思議で仕方なかった。夜店のわた飴や小鳥のおみくじ占い(放してあるヤマガラが小さな社からおみくじをつまんで帰ってくる芸)を見たかったが、射的や輪投げなど、わくわくする物がいっぱい並んだその場所を、あっという間に通り過ぎて行った。お参りはいつも夕方から二人で出かけた。或る年、家に帰ってから、いつも金太郎飴が欲しと思っているのにと、思い余って母に訴えた。きっと泣きべそをかきながら云ったのであろう。次の節分には何も云わなかったのに父は覚えていたらしくて、その夜は念願の飴を持って家に帰りすぐに食べた。何年も待ち望んだ飴の味は、子ども心にも拍子抜けした、妙に歯にくっ付いて固くて始末の悪いお菓子であった。その後も毎年の初詣や節分には父に引っ張られて、わくわくしながらあちこちついて行ったが、ついに射的や輪投げをすることは無かった。金太郎飴の事などは何とも思わなくなっていた。今は金太郎飴を見るといつもその事を思いだす。(父と節分) |
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参道で出会った天狗の様なものは 「方相氏」で、いわれがあって、鬼を 退治する役割だそうです。 ・・・(ほうそうし) |
| 【節分閑話】中 |
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○ 私は店を継ぎ、父とは結局仕事の上でも、人生の半分を共有することになった。三人きょうだいで出来の悪い末っ子の私を生涯大切にしてくれた父はもうその頃、強いところも弱さも正直に見せてくれた。望む結婚をした私達夫婦は男女二人の子どもに恵まれ、家族でよく遊び、幼い二人は共に喜び、そして成人した。夫婦は子どもたちから無限のものを授かった。父と母も喜んだ。ただ、何事も無く平凡に暮らせた訳ではなかった。家族が大病をした。私も40才の三カ月前に、相手の不注意で交通事故を受けて重傷を負い脚が不自由になった。妻の助けと二人の子の支えがなかったら今は無い。又、大勢の人にも心配を掛け助けてもらった。病院とは未だに縁が切れないが、当時は三年ちかく入退院を繰り返した。最初の外泊で家に帰ったとき、真っ先に私の傷んだ足を確かめるように撫でた父は次の言葉に詰まって無言のままでいた。その時のことを今も強く憶えている。何か、ああ良かったと小さく言った。うれしかったが老いた父の心配する気持ちが伝わって、申し訳けなかった。それまでにも人並な心配事は有ったしその後も、とにかくは無事に過ぎた。(父母と私の家族) |
| 【【節分閑話】後 |
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○ 生来健康な父は93才で逝く間際まで元気でいた。父の半生を幼い時から私はじっと見ていた。母には、すべての事を教わった。距離が無かった。ある時期までそう信じていた。今も半分はそのとおりだ。父の亡くなった二年後に母も逝った。父は日本海の田舎町に生まれ、17才で京都へ奉公に出て10年後に独立した。その頃のことを時々懐かしそうにポツリポツリと正確に話してくれた。奉公先の主人が太っ腹で頭が良くて理解があり、よく働きもしたが勉強も遊びもして、自由にさせてもらったと感謝していた。そのせいか、学歴は無かったが死ぬまでよく勉強していた。生活も仕事でも生涯怠らず老いても探究心が続いた。生真面目で、判らないことをそれと正直に言える人でもあった。父の記録したものを今も日々仕事の上で目にする。言葉にしなかった事が重く残っている。(父の生い立ち) |
| 【閑話休題】 |
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○父はとても気が弱かったが意志の強さは相当なものだと感心していた。もめごとは最後に大抵譲っていたが最小の領域では、必ず踏みとどまって守った。そと見にはいつも負けていたので、そのことで歯がゆい思いをして意見がよく衝突した。でも、いい性格だなと思っている。誰も差別しない人柄だったと姉は誇りにしている。私の知る父の半生もそうだった。母にも皆にもやさしかった。昔気質というより、むしろ進歩的な信念を持っていた。子どもが何気なく聞く、何でそうするの?と言う言葉に、判断と決定の訳けを真面目に答えてくれて、晩年まで変わらなかった。小学校の時、私は恥ずかしくて嫌だったが参観日に和服でよく来てくれた。母が病弱だったせいもあり口では云えなかったが、嫌だと思ったことを今頃悔やんでいる。参観日にはみんな母親が来る、まだ父の日など無かった時代だ。我が子に私が出来ないことをいっぱいしてもらった。今も私達家族の話題に父母のことがよくのぼる。それ程に色々授かった。しかし、今でも我が子からは心の授かり物がいっぱいある。昔、私が幼かったあの時、なぜほんの少しの事であんなにうれしかったのだろうか。今思い返してそれは、ほんの少しではなかったのだと考えている。そして、今はじめて父のことを書いた。(子と親と・節分に寄せて)・・・2003年2月・朋 |
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| 蹴 鞠 |
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![]() この方 |
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![]() 鞠を持っておられる この方と |
![]() 横顔の方 ・ |
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| 奈良 興福寺の塔 |
| 『 坂本 龍門文庫 』 の展観を見た足でお越しになった先生に、写真版図録を見せて頂き ました。明日は最終日だと教えられ、居ても立ってもおられずに翌朝、車で小一時間の国立 奈良博物館へ見学に行ってきました。年の暮れの観光都市は、どこもひっそり落ち着いてい ましたがなんと、同業者に二人も会いました。集まるところは同じですね。その一人は二度目 だとか・・・。館を出たときは夕方近くになっていたので、もう遠くへは行けず、興福寺の宝物 館を拝観しました、十二月はじめに見たのですが又見たくて。八部衆の阿修羅像や、南円堂 銅灯火袋銘文そのほか、沢山あります。 見た後の印象は、一日に二つは欲が深い、頭がこんがらかって大変疲れました。 興福寺の宝物館を出るともう夕景色、今日の記憶のインデックスのつもりで写真を撮りました。 歳を取ると文字で覚えておくのが苦手になって、映像パターンが記憶をひも解いてくれます。 京都から出て見る奈良はいいです。大路を鹿が歩いているし、目の前で日が暮れてゆきます。 |
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![]() 興福寺の五重の塔 天平二(730)創建。 天火(雷)や焼討ちで 五度焼失。 応永18年に雷で焼け応永33年 (1426)に再建されたのが今の塔だそうです。 |
![]() お昼抜きで、夕方にお蕎麦を食べた 猿沢の池の畔り・掛茶屋の窓の眺め 【昔、この池から竜が昇ったのです】 |
![]() オフシーズンの観光地は嘘のようなのどかさです, 車もガラガラでちょっと止めるのに苦労しません。 いつもは渋滞する 奈良博の前で・・・。 |
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| 南禅寺の夕暮れ |
石川五右ヱ門も 歌舞伎の舞台で言いました |
門口に塵ひとつ無く 庭に錦秋を敷く |
| 今年は暑さが長引いたので 紅葉は逃げるように早かった様です 慌てて午後おそく、近くへ行って来ました。 春は、はなやかで心誘われますが 秋も又、情緒深くて格別です。 |
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| 田 舎 |
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田舎へ行ってきました 古い私鉄の ローカル駅は、 静かな いい感じで 余り変わらずにあり、 その土地に 住んでいない私には、 30年前の記憶を つなぐあかし の様でした |
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とり立てて 思い出がある駅では ないのですが、 ここに来てみると 日々の 記憶の断片が ふと開いた様な、 しみじみとした気持ち になりました |
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誰もが 持っていそうな 古い昔の おもちゃ箱を 開けたときの、 つまらないけれど 他に替える ものがない、 捨てられない 自分の 足跡を見たとき のような、 |
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こんなごく 普通の 感覚が おろそかに なりがちな 日常は、 やはり 毎日が 少し疲れて いるのかと 今、感じて います |
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改札口は 無人に 変わった けれど 変える 必要のない 駅舎は 元のままで、 その土地の 周辺にある 観光案内の パンフレット なども差して あって、 静かでも 人の気配を 感じさせる きれいさに 安心しました |
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秋が深まって 人影のない ホームの いすに、 何となく 座った 二時間に 電車が2本 通過した |
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乗り、降り 合わせて 乗客が 20人程、 空は 晴れたり しぐれたり、 何度も繰り返 えす天気が 秋の終わりの しるしです ここの真冬は 野をわたる 地吹雪に 凍えます |
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夏の田んぼの山すそを、 カタカタ カタカタと車輪を 回して走る軽便鉄道の様な こげ茶いろの二両連結 汗ばんだ顔に心地よい 開け放った窓の風 やがて県道に並んで 走ったあと、小さく警笛を 二度鳴らして駅に止まる 何度もなんども思い出す 今は繰り返すしぐれが、 懐かしい記憶をいつしか 遠い昔に追いやって、 窓を閉じた綺麗な色の かわいい電車が、 昔と同じ二両連結で 到着しました |
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カップルが2組、 家族連れ、数人の老人、 ハイキングのグループ、 みんな明るくゆったりと 降りてくる心地よい ひと時でした そこを通った ひとたちが そして、わたしもが 大切な 自分の時間を 持っている様に 感じられて、 そのあとは、 すっと気分が よくなりました しぐれも天気の一つです |
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みんな それぞれの 世界で 生きています そんな 想いにさせる この 古いローカル線と 今も変わらない 駅舎が 次、訪れる時まで、 その次の時までも、 ずっと変わらずに、 続いて欲しいと 思うのは |
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少し、 勝手なお願い だと思いながら、 この 平凡で贅沢な お気に入りの ひと時を感謝 しています。 |
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古 新 聞 |
中外日報 部分 |
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店で資料(商品)を挟んでいた古い仏教系新聞の記事が面白かったのでお目に掛けます。
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晴れた夜空を焦がした 今年の大文字も無事終わりました。 日が暮れると少し涼風が吹くように なりましたが日中はまだ暑さが続いています。 真夏の蒸し暑いさなかに 京の底冷え の冬を 思い出して、どちらが好きかとくらべてみる 対暑療法を、あきもせず毎年繰り返しています。 どちらも京都の特徴ですが、やっぱりこの時期 底冷えの方がいいと思いたくなります。 紫色の桔梗のあとにひっそりと白い方が咲き はじめました。 鉢植えが風に揺れる朝のひとときは さわやかないつもの京都です。 暑さもまだまだ続きそうなので 一層ご自愛くださいませ。 2002/8/17 |
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| 祇 園 祭 |
・・・祇園祭はもうすぐ・・・ (2002/7/13 夜写す) |
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| 山鉾巡行は 7月17日 朝からです。 当日は当店のすぐ近くを通りますので、又写真をお目にかけます |
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7/16 今夜は宵宮です。 |
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| 山鉾巡行の前夜 7/16日 が宵宮(よみや)ですが、近年は前々日の15日も宵々宮と称して、連日の人出で一杯です。 | ||
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| 鉾の順行までは渡した橋から乗り降りします。地元の子どもは、みんなのった事があるのでは。 | あちこちに鉾が沢山あって・・・。 これは先頭を行く長刀鉾。 |
夜は歩行者天国になり大混雑しますが、昼間はボチボチです。京美人もちらほらと。 |
7/17 〔祇園祭〕 |
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朝から大雨、のち曇りで何とか無事に終わりました。 |
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河原町通り、三条付近に鉾が来ました。 |
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| お暑いことおへんか? ・・・・うちら慣れてまっさかい大丈夫どすえ。 ( ・・・と云っているみたいですね ) |
すぐ近くのホテルが毎年鉾や山の1基づつに、舞子さんの手渡しで献酒しています。
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祇園の舞子さんは、お祭に咲いた花のようです。
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