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   都林泉名勝図会 五巻六冊 の内より / 現物大画像の ページ 




・・・ 銀閣寺 林泉 ・・・
金閣寺を見る前に銀閣寺を見た方が良いと思うのですが・・
どちらの良さもよく判ると思います 
京都に来られる方へ)






・・・ 稲荷社 初午詣 ・・・

書中、 伴 蒿蹊 (バン コウケイ)・・・「近世畸人伝」 「続・近世畸人伝」 の作者・・・の歌が下に見え
稲荷社の しるしの杉 のことを歌っています

【しるしの杉】とは・・・平安時代のみやこの貴族(公卿)に、熊野もうで【熊野三山:新宮、那智山、本宮へ詣でること・・新宮は速玉社】が盛んになり、京から紀州・熊野への往き帰りには必ず、通り筋の稲荷社【街道にある伏見稲荷神社】に参詣し、危険な道中の安全を祈願して杉の小枝【しるしの杉】をいただいて身体につけることが慣わしになっていた。平の清盛の頃です。熊野詣でや初午に杉の小枝を戴くことの初めは平安朝ですが、江戸時代になっても ・・・(伴蒿蹊の和歌)普段は気にも留められない花無き杉も今日初午の稲荷山では【しるしの杉】とて人に取られていることよ・・という訳です。今でも二月の初午には【しるしの杉】が授けられています。今年の初午は’07/2/5月曜。 (立春後、初めての午の日が初午。・・・冬至と春分の中間が立春で前日は節分。・・・稲荷大社の祭神五社が稲荷山に降臨したのが、和銅四(711)年月の初午という伝承による。)

         ↓下の歌は ・・・  初午の けふにあひては いなり山 はななき杉も 人にとらるゝ  伴蒿蹊
                      花の無い杉でも人に取られる  ・・・初午の【しるしの杉】のことです  

鳥居の向こうの露店では 低い屋台に何を並べて商っているのでしょうか 串団子 のようにも
見えますが ・・今なら 鯛焼きか たこ焼き でしょうね 鳥居の 右の手前に立っている二人
の女房が売っている物は 箱に並べたお稲荷さん(稲荷寿司) てな訳ないでしょうけど 
私の
小さい頃は 串に刺した焼き鳥が稲荷の定番で 駅に降りて鳥居までの店屋に出ていた『雀の
焼き鳥』はいつも気になっていましたが 食べたくなかったです あれはヒヨコかも知れんな?
と チラッと聞いた 背の高い父の肩車に乗っていた頃のお話しです 寒いお正月の初詣には
スズメの焼き鳥できゅっと一杯が 楽しんでお酒を飲んでいた父の本音だったかも知れません

よく見ると鳥居の処に若者四五人 もろ肌脱いで踊ったり 仮面でふざけ 廻りの
人がいぶかっている様子ですが いつの世も若者が大勢居るのは 良いですね
子ども女性や坊さんも賑やかです 今は何をしてもダメとか 息苦しい世ですしね
大して悪くも無い事に ダメ ダメ では元気なくなりますね 大事なことは見落して







・・・ 深草里 墨染 (伏見・深草のさと 同・すみぞめ :地名 ) 花魁 (おいらん) ・・・

堅そうに唐様で書く軟らかなこと ・・・  そのシャレが、難解でうまく読めません。
詩文の作者:鶴橋柚木太淳/柚木太玄/柚木陸忠の次男/江村北海に
学ぶ/学者/京都で眼科医を開業/?〜1788:江戸後期

月含微暈夜禽呼 花影朦朧村妓拠 伏水客舫須早発 茜裙莫漫酔商夫    鶴橋柚木太淳[太淳印]

月は 微かに 暈・・かさを(月にかかる傘)  含み  夜禽・・夜鳥  呼・・サケブ  花影 朦朧・・もうろうと  村
 妓・・遊女の 拠・・ところ
伏水・・(伏見港に)  舫う客須早発て 
茜・・あかね色の  裙・・もすそに  商夫・・あきんど  漫酔・・酔い潰れること  莫・・なかれ

おぼろ月の 伏見の里で遊んでいては 淀川の下り舟に乗りおくれ 浪華に戻るは何時とやら あすの商売どころか 集金も消え去り・・・ですか
違っていたらすみません






・・・ 嵐山 大堰(井)川  (保津峡) ・・・


今も昔も いつの季節も綺麗です。 冬も、 嵐山に舞う雪は 広い川面と山に映えてうつくしいです。
嵯峨はあちこち、昔からいいところです。






・・・ 嶋原 花寄 ・・・


(書中の句)  さき揃ふ はなによりくる こてふかな  大淀太夫 みつから書

( 咲き揃う 花に寄り来る 胡蝶かな   大淀太夫 自ら書く )


以上、 京名所を ほんの数丁 お目に掛けました。  ( 追記、この都林泉名所図会 07/1/9  しました )


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